日経な日

日経な土曜の朝。


最初は雲行きが怪しかったものの、結局気持ちのいい青空となったので、今朝も簡易ベンチをベランダに出して、たまった日経をさくさく読んでいた。

約1時間半経ってコーヒーが欲しくなったので、コーヒーを入れて日経の整理を再開。結局お昼までに4日分の朝刊を片付けた。もっと新聞を早く読めるようにならなければ...しかし、どうも読みたい記事がどんどん出てきてしまうのだ。


青空の下で、コーヒーを飲みながら新聞や本を読み、時間を忘れてそのことについて思索にふけることには、他人と何か共通の目標に向かってワイワイやりながら協働する面白さとは全く違う楽しさがある。

僕は、こういう「vita contemplativa ("contemplative life"とでも訳そうか)」な時間が非常に好きだ。

ただ、この静的な時間のなかにいて、「あぁ、幸せだなぁ」と心底思えるのは、おそらく平日にそういった時間がないからであって、もし毎日contemplativaな生活を送っていたら、今度はそれを苦痛と思うようになるだろう。それは学部の留学時代よく経験した。

人生とは、結局そういう矛盾したものなのかもしれないし、あるいは僕がただそういう中途半端な人間にしか過ぎないのかもしれない。恐らく両方だろう。


日経新聞を読んでいて、色々面白い記事を発見して、色々考えさせられたので、今日はそのことをまとめておこう。



考えたこと①:日本経済と女性


前に何度か書いたことだが、これからの日本社会においては、やはり女性がこれまで以上に重要な存在になってくる。

「これからはオバサンの時代だ」とか「これからは高齢者の時代、介護ビジネスの時代だ」と言われてきたが、しかし最近多くの企業が若い女性を顧客とすることに注力している。それは若い女性の購買力こそ、これからの日本社会において最も伸びると考えられているからである。(つまり、女性が労働力としてさらに社会に組み込まれようとしている、ということだ。)


例えば、今日の日経新聞朝刊の第31面には、紳士服専門店の紹介欄があり、そこに「女性を狙え!」という言葉が踊っている。


また、11月9日の同新聞には、チルドカップコーヒーの紹介記事があり、そこで特にサントリーが発売した「スターバックス」ブランドの売り上げが良いことが伝えられている。この背景にも、女性の購買力の働きがあるように思われる。

なぜそもそもチルドカップコーヒーのなかでも、スタバが売れているのか。それは、女性の間で売れているからではなかろうか。実際統計をとって調べてみたわけではないから、これは推測に過ぎないけれど、スタバのチルドカップコーヒーを購入した女性は他のチルドカップコーヒーを購入した女性よりも多いのではないか。
それではなぜ女性がスタバを好むかといえば、「実際おいしいから」とか「若い女性を対象としたスタバのブランド戦略が成功しているから」とか、そういう理由だろう。

実際、今僕がアルバイトしている職場では、男性スタッフは大抵缶コーヒーを飲んでいるが、女性スタッフはスタバのコーヒーを手にしている。


前に書いた原宿の同潤会アパートの再開発も、女性の購買力への期待によって支えられている。
そういえば先日銀座に行った時に気が付いたのだが、並木通りでビルの改築作業が行われていた。あそこにも立派な商業ビルが建つそうだ。また、東京丸ノ内でも三菱地所が商業ビルの開発を進めている。商業ビルには、海外のブランドショップが入るわけだが、それらを支える一つの大きな力は、やはり女性の購買力なのである。


東京の地下鉄に乗って、(特に女性専用車両の)つり革広告を見ると、そこには女性ファッション誌のものが沢山ある。広告には次のような言葉が踊る。「セレブOLvs姫OL!」。メディアも、高級な服飾商品への女性の購買意識を一生懸命刺激しているのである。(いやぁ、それにしても「セレブOL」vs「姫OL」というのはスゴイ。一体どういう戦いになるのだろうか。また一つ、街を歩く楽しみが増える...)


それでは、女性が労働力として社会に組み込まれるということが、二極化される日本社会においてどのような影響を持つか。 一つ考えられるのは、さらなる二極化ということである。


つまり、競争原理は女性たちの間でも当然働き、高給取りと「non-高給取り」に分かれる。高給取りの女性は、高給取りの男性と繋がる可能性が高いため、そこでもし子どもが生まれた場合、その子どもには高学歴が与えられる。
そして今の日本社会は、10月4日の日記に書いたとおり、実はれっきとした学歴社会なので、高学歴を得た子どもは強い上昇志向さえ持てば、所謂「勝ち組」になる確立が高い。 これはつまり、財産と文化資本世襲制で、quasi-貴族制である。


さらに僕の妄想は飛躍するのだが、おそらくそういう社会では、「貴族」は一生懸命「貴族」に留まろうとし、「平民」のなかには一生懸命自分の息子・娘を「貴族」にさせようとする人々が出てくるから、小学校や中学校では「ホリエモン」や「村上ファンド」、「株」や「ビジネス」などが教えられているだろう。


ウェルカムトゥー・競争社会。


少子化でその数が減った大学において教育の力点が置かれる科目は、やはりそのようなビジネス関連のものとなる。ますます、トックヴィルマルクスはごくごく一部の「キモイ」人間にしか読まれなくなる。

そういう社会がどういう社会か。
アメリカにおけるデモクラシー』のトックヴィル先生の言葉を使おう。

"Où allons-nous donc? Nul ne saurait le dire; car déjà les termes de comparaison nous manquent..."
(それでは我々はどこに行こうとしているのだろうか? それは誰にも言うことが出来ないだろう。なぜなら既に我々は比較できるものをもっていないからである。)


そういえばトクヴィルの『アメリカにおけるデモクラシー』の新しい翻訳が岩波文庫から出たそうだ。皆さん、一緒に読みましょう。



考えたこと②:企業買収について


日経新聞には、マーケット総合2面に『大機小機』と名づけられた短かい論説記事が、日曜日以外毎日掲載されている。毎日違ったテーマについて書かれているのだが、11月10日は「M&Aのマネジメント」と題された文章だった。

これが非常に面白かったので、面倒くさいが、メモ代わりに全て引用しよう。


M&A(企業の合併・買収)の付加価値は二つの企業の協働によって生み出される。しかし、異なる文化を持つ企業の協働は実に難しい。

対等合併では、どちらが主導権を握るかの戦いがし烈になる。日本の銀行合併がうまくいかないことが多い理由の一つはここにある。

主導権がはっきりしている吸収合併の場合でも、異なる文化を持つ企業間の協働を実現させるのは簡単ではない。まず、言葉が通じない。同じ日本語を話していても(会社によって)意味が微妙に違うからだ。「良い仕事」と評価される仕事のスタイルも異なる。上司や部下との接し方も違い、ちょっとしたすれ違いが不信感を生んでしまう。

対等ではないが故に生まれる複雑な心理が、両者の協働の障害になる場合も多い。買収側は心理的に優位に立つため、問題が起こると「だからだめなのだ」という気持ちを相手に見せてしまいがちだ。買収された側では劣等感にさいなまれるか、あるいは相手の態度に我慢できなくなる。優秀な人ほどこのような気持ちを抑えきれず、その企業を離れてしまう。

そうなると、残ったのは「だめな連中」ばかりではないかという気持ちが、買収側の優越感をさらに助長する。吸収された側が名門企業であればあるほど、その劣等感は深刻な問題を生み出す。結局、片方が経営破綻して独力では生き残れない状態まで追い込まれていた方が(中途半端な状態で吸収されるより)話は簡単かもしれない。

このように企業は複雑な心理を持つ人間の集団である。株を買い集めたからといって、人間の気持ちまで自由になるわけではない。人を動かせるかどうかは、持ち株比率の問題ではない。だから買収は難しいのである。

米国でもM&Aによって株主価値が増加した例は実はそれほど多くないといわれる。買収のマネジメントが難しく、意図した成果を上げることが出来ないからである。だからこそ、M&Aを成功させた経営者は、市場から大きな報酬を得ることができる。

株を買ったのに被買収側が従順ではないと嘆くのは、部下が命令を聞いてくれないと嘆く上司に似ている。嘆く前に、なぜ思うように動かないのかを考え、どのように行動を変えればよいかを考えるのが重要な仕事である。そこから経営者の付加価値が生み出される。(猪突)」


この説明は、企業買収の(また外資企業による日本企業の買収の)難しさをかなり正確に表していると思う。
ただし、最後の部分以外。

そもそも上司が、「(部下が)なぜ思うように動かないのかを考え、どのように行動を変えればよいかを考える」ためには、部下が上司に何を考えているのかを伝える必要がある。(「部下」を「買収された日本企業」、「上司」を「買収した企業」と置き換えてもいい。)
ということは、部下には2種類の人間が必要になる。1つは、部下の立場を毅然と主張し、時には上司と喧嘩できる人間、もう1種類は部下と上司の間の橋渡し役に徹することができる人間である。この2種類の人間が必要なのだが、誰も前者の役回りなどやりたがらない。だから難しい...

このことを僕と同じアルバイトのNさんは教えてくれた。Nさん、ありがとう。


それにしても、やっぱり買収された人間たちと買収した人間たちが、目標を共有して、それを実現する努力をし、成果を出した人間が平等に評価される(とそれぞれの社員が思える)フェアな仕組みを作ることは、実に難しい...

だからM&Aは難しく、だからこそ経営統合までケアしてくれ、統合を成功に導く力を持つコンサルタントは儲かるのだろう。

結局M&Aは、それ自体金のなる木ではなく、M&Aが盛んになり、一番「万歳、万歳」しているのは力を持つコンサルタント会社ではないか。


あともう一つ、政府系金融機関のことについて書きたかったのだが、今日の日記が気持ち悪いくらい長くなるので、ここで辞めておこう...