今更ですが、しばらく休みます。

botticelli2006-03-27

イギリスで出会った人にアンドリューというカナダ人がいる。
彼は古代ギリシア学で博士号を取得し、26歳という若さでアメリカの大学で教えている。
彼はこう言っていた。


「僕は新聞も読まないし、ニュースも見ない。気が滅入るばかりだから。」

冗談か本当かよく分からない。
でもその気持ちは、何だか分かる気がする。



バイトの日で晴れていると、お昼休みにオフィスの近くにある神社にお参りに行く。

今日はそこの桜が見事で、思わず写真を撮ってしまった。
こういう時、携帯電話のカメラ機能は実に便利だ。

冬の間、境内はお昼休みでも閑散としているけれど、さすがに今日はサラリーマンやOLさん達がベンチに座っていて、ちょっとにぎやかだった。


今日がアルバイト最終日。
と言っても、また臨時で通訳とか翻訳のお願いをされることはあるらしい。
こちらとしても、また使ってもらえるのは有り難いことだ。


2年前にイギリス資本に買収されたこの会社でのアルバイトは、約半年間だったが、色々勉強になった。

結局、ビジネスも人と人の関係の上に成り立っていることを改めて教えてくれた。
現場の日本人スタッフと、オフィスにいる上層部の外国人たちがお互いを理解し、信頼していないと、何事も円滑に進まない。


僕がアルバイトとして働いていた間、少なくとも4人の方が転職した。2人は部長クラスの方だ。
そのうちの一人など、あのユニクロのウェブ販売システムを構築した人で、その世界ではかなり有名らしいが、職場を離れる際に「もう外資はこりごり」と言っていた。

M&Aが流行っているけども、実際異なる文化を持つ企業が合併して、成功することはかなり難しい。

だからコンサル業は儲かる。


多くの社員が飲み会の席で、「一回目の就職は本当に重要だよ。ちゃんとした所に入りな。」と言ってくれた。
大企業に勤めている人は、「大きければいいってもんじゃない。自分が出来ることはごくわずか。」と言うし、小さい会社に勤めている人は、「まず大きいところに行った方がいい。」と言う。恐らくどちらも正しいのだろう。


アルバイト生は、僕を含めて4人いた。
自分で言うのも何だが、僕は寡黙に仕事をサクサク進めていくタイプの人間。
社員の人にも「まじめ」とか「ユーモアがない」とか、色々突っ込まれた。


しかし、同じアルバイトの中には、仕事をちゃんと行うものの、冗談ばかり言い、社員にふざけてタメ語で話しかけるような女の子もいた。
でも、ふざけている様に見えても、実は彼女なりに場の空気を読んでいて、会社のことも真剣に考えていた。それまで暗かったオフィスの雰囲気を明るくしたのはこの子で、そんな彼女の力に憧れた。


でも振り返って思うことは、僕みたいな人間ばかりでも困るだろうけど、逆に彼女みたいな人ばかりでも困る、ということだ。

生真面目な人間がいるからこそ、おふざけが活きるし、おふざけがあるから、真面目さが活きる。

ないものねだりをよくしてしまうけど、全体的に見れば、欠点ばかりの自分にも何かしらの存在意義はあったはずだ。
そう思う。

これはオフィスでの人間関係の話だけではないな、と帰りの電車で思った。
もっと広がりのある話かもしれない。

自分の理屈っぽさや、ガムシャラになれないお坊ちゃま根性が嫌になることが多い。常に冷めた第三者が自分の中にいる。
「彼みたいになれたらな」「彼女みたいになりたいな」とよく思う。
思えば、恋愛も常に憧れから始まった。


そして3度の留学も、「彼らみたいになりたい」という思いから始まった。
アメリカ人みたいに格好良くなりたい」とか「明治時代の留学生みたいに偉くなりたい」とか「あそこの学生たちみたいに優秀になりたい」とか。
そういう思いに突き動かされて、憧れの地に飛び込んだ。


中途半端で、欠点の多い自分自身が嫌になることは多い。
しかし、そんな自分を見て、元気付けられる人や感動してくれる人が、実はいる。


僕と時間を過ごしてくれた人が「楽しかった」とか「会えて良かった」とか「話せて良かった」とか、そういう風に少しでも思ってくれたら、自分の存在を肯定的に見ることが出来る。


だから僕は大学食堂のおばちゃん達と、「こんちはー」と挨拶を交わし、一言二言、笑顔で天気の話とか世間話することが好きだ。本当に楽しそうに話してくれるし、僕自身話していて楽しいから。
元気が出てくる。


僕も、そして恐らく皆も人の背中を見て成長してきた。
親父の、母さんの、兄弟の、そして友達の背中を見て、色んなことを感じ、色んなことを教えられ、成長してきた。

過去の思想家を勉強していて一番面白かったのは、時折彼らの背中が文章を通して見えたときだ。
文字それ自体より、文字の奥に見えた彼らの背中から学んだことの方が、大きい。(このとき、「原語で読む」というのは極めて重要だ。)


もしかしたら、僕の背中を見て、何かを感じてくれる人もいるかもしれない。
いや、いるはずだ。根拠は、友の言葉と表情しかないけれど。

そう考えれば、たとえ自分が欠点の多い人間でも、「まぁ、こんなもんだろう」と思える。


だから本当に大切なこと。


それはきっと「元気に挨拶する」ということと、「人を見下さない」ということ。


実生活では人と自分を比較してばかりだから、「人を見下さない」というのは実はとても難しい。
だからこそ、自分に言い聞かせる。


ところが、今自分は就職活動という競争世界に身を置いている。
競争とは、つまり相手を見下し、見下されることだ。

「アイツは馬鹿」「なんでアイツが内定貰えるの」などと内心思い、「オレは、オレは」とつまらない自己主張をしてしまう。

人に役立って初めて自分は価値ある存在となるはず。人が僕から何か良いことを感じて、そうして初めて僕は価値ある人間になるはず。

一人で裸でポツンといたら、自分なんて本当はどうしようもなくつまらない存在なのに、自分を飾り立てて、自ら自分自身を自慢しなくてはいけない。

やりにくい世界だ。

自然と他人と自分を比べるようになり、他人を見下すようになる。競争社会はそういう人を増やすのではないか。
ホリエモンはその典型ではないか。

自分を棚に上げるつもりはない。


競争社会は、経済を活性化させるらしい。
もっともな話だ。人間のエゴを刺激するのだから。
そんなことは17世紀のJ.J.ルソーがとっくに見抜いている。
『人間不平等起源論』。面白い論文だ。


でもビジネスはやはり人間と人間の関係の上に成り立つもの。
エゴだけでは人間関係は成り立たない。
だから純粋な競争社会では、経済は成り立たない。


誰だって「あ、この人と仕事してて楽しい」と思える人と仕事したい。
そして「一緒に仕事していて楽しい」と思われる人は、必ずしも自己PRがうまい人とは限らない。


最後のアルバイト。
帰りの電車に揺られながら、そんなことを延々と考えた。
ひとつの答えが見えて、ちょっとすっきりした。


それにしても、これで平日の朝に、地下鉄に乗る綺麗なOLのお姉さま方を暫く見られないというのは、ちょっぴり悲しい。



激しい競争の世界で身も心もすり減らしており、ブログを書く元気が、情けないことにありません。


しばらくお休みします。