マーケティングの時代

今月いつだったか、日経MJでP&GのCOOのインタービュー記事が載っていた。

彼はマーケティングについて、「それは『芸術』から『科学』になりつつある」と言っていた。 「もっともっと当たるようになる」と。 確かに大人も学生も、皆マーケティングマーケティングと言っている。
マーケティングが面白い」と言う学生は沢山いる。 分析、決断、実行、結果の検証。確かに知的刺激もあるだろうし、そのゲーム的な面白さもよく分かる。マーケティングの成功、すなわち自分が人々の消費行動を牛耳ることが出来た、というのはその人の支配欲も満たすだろう。


しかし、マーケティングが今まで以上に通用するようになった、ということは何を意味するだろうか。
買わせたいものを、買わせたい人間に、より買ってもらえるようになった、ということが意味するのは何か。

マーケティングのツールが向上したのは間違いない。データの量が激増し、またその内容も細かくなった。 しかし、それと同時に、マーケティングの対象である人間が、「人間らしさ」を失っていることを示しているのではないか。「人間らしさ」とは、一人の人間は世界で唯一無比の存在で、交換不可能な存在である、ということだ。


単純に言えば、マーケティング上で僕は「botti」ではなく、「20代男性・年収300万・都心在住・独身・一人暮らし」の存在となるのである。僕は顔を持たない、のっぺりとした存在となる。
(消費活動において、人は「その人」たりうるか、というのは大きな問題だ。。。アーレントもそういう問題を考えていた。恐らく、ルソーもそういうことを考えたと思う。)
 
マーケティングがもてはやされる社会では、人々はどんどんそういうのっぺらぼうにされていく。


人はビジネスだけの話だと言うだろう。
しかし、今日、どれだけビジネス的な言説・発想が日常生活の言葉、考え方に侵入しているだろうか。そのことを考えるとき、「マーケティングマーケティング!」と皆さんが言っている状況に何か違和感を覚えるのである。


しかし、マーケティング(あるいはその考え方)の手は、政治にも教育にも伸びている。