梅田望夫へ

ウェブ進化論』『フューチャリスト宣言』の梅田望夫は、森有正を敬愛していたらしい。

一年ほど前だろうか、日経新聞森有正のことを書いていた。
若い頃、最初は学究の道を志していたが、森の著作を読み、この哲学者の研究者としての厳しさに触れ、その道をあきらめ、今の道に進んだ、と。


なんだかもっともらしい話だ。もっともらしい話だから、なんだか浅薄な内容だった。そもそも、森は、別に研究者だけに向かって厳しい言葉をつづったわけではない。彼はどこまでも自分の言葉で、自分に語りかけ、そしてそのことを通してしか「人に」語りかけることは出来ないと考えていた。

梅田が引用している次の言葉も、そういう意味だったに違いない。


「人間が軽薄である限り、何をしても、何を書いても、どんな立派に見える仕事を完成しても、どんなに立派に見える人間になっても、それは虚偽にすぎないのだ。(中略)自分の中の軽薄さを殺しつくすこと、そんなことができるものかどうか知らない。その反証ばかりを僕は毎日見ているのだから。それでも進んでゆかなければならない。」


森のことを語ることは出来る。でも、森のように語ることは難しい。
彼は、梅田が書いたような紋切り型の反省は絶対しなかった。



そんなことをふと思ったのは、最近森有正のことを改めてよく考えるからだ。あるいはずっと前から森から出されている課題のことをよく考えるからだ。


「1,2年もすれば。。。」と思う。しかし、そう思うと同時に、僕はこの一瞬一瞬のために生きているのではなかろうか、とも思う。この一瞬一瞬に、実は自分の全てが賭けられている、と。ここに打つ言葉の一つひとつに、今までの自分全てが賭けられているはずなのだ。

そして、今までどんな素晴らしいこと、偉大なことをしたとしても、この瞬間にやるべきことを出来ない僕は、結局何も出来ない人間なのだ。


「どうせ慣れるさ」とか「どうせ忘れていくものさ」などと自分に言い聞かせずに、心に浮かんでくる様々な思いを、常に大切にしなければならない。